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2002年のデンマークの高齢者福祉
2002.12改訂版
                                                             デンマーク研究会 関 龍太郎
 
1)2002年のデンマークの高齢者福祉
2)エルシノア市の概況
3)日本とデンマークの比較


2002年のデンマークの高齢者福祉
デンマーク研究会  関龍太郎
1.はじめに
10年ぶりにデンマークの高齢者福祉にふれることが出来た。私は、この10年の間にデンマーク 以外にもドイツ、オランダ、スウェーデン、ニュージーランドの「高齢者の福祉」について学んできた。 日本においても、2000年からは介護保険がスタートした。今回、1週間の旅であったが、24時間在宅 ケア体制、住宅改善、補助器具、痴呆対策、元気老人対策、リハ対策について、自分の目で見、質問し 理解することが出来た。今回は、そのポイントについて、書いてみることにする。
2.生き続けている高齢者福祉の3原則
今回も、高齢者福祉の3原則が生き続けているのを感じた。高齢者福祉の3原則は、コペンハーゲン 大学の教授で、元厚生大臣のアナセン氏を委員長とした「高齢者問題委員会」が、1982年に答申し たものである。高齢者が大切にすべきものとして、「自己決定」「生活の継続性」「自己能力の活用」 の3つをあげている。今回も、旅行の随所でこのことが生き続けていることを実感した。高齢者の 「自己決定」という意味では、私は日本が50%と言われる子供との同居率が、5%以下という現実が このことの背景にあると考えている。ブンゴード孝子さんの義母のインガさんと2時間程度に意見交換 する場があった。その中で「子供との同居」「一人暮らしの寂しさ」について、尋ねたが否定された。 自分の人生は自分で決める。子供たちには干渉されないという「自己決定」の強さを感じた。
3.医療は県、福祉は市町村の責任で
デンマークでは、医療も福祉も税金で賄われているので、無料か一部負担はきわめて少ない。 したがって、福祉の一分野である高齢者福祉も同様である。「24時間在宅ケア体制」「住宅改善」 「補助器具」「痴呆のグループホーム」等は福祉である。今回の調査においても、3人の看護師と 10人のヘルパーの計13名で構成されたチームが28−100名の対象者を24時間ケアをしている。 在宅においても、必要によっては、1日6回も7回もヘルパーは出かける。週に何回という日本と異なる。 もちろん、看護師も作業療法士も、場合によっては開業医師も訪問する。今回、日本のヘルパーが訪問 した老人住宅の場合(老人ホームうちチーム)は、さらに訪問回数が多い。しかし、これは在宅福祉 であり、医療ではない。したがって、財政的には、市の責任で運営されている。在宅であれ施設であり 福祉の責任は、チームのリーダーである看護師が担っているのである。医療は県の仕事、福祉は市の仕事 と明確に区分されている。日本では、医療分野で医師の責任でなされる分野の1部が、デンマークでは、 福祉の分野で、しかも看護師の責任で運営されている。日本の場合も、福祉をさらに進めるには、責任を 明確にし、その財政を保障することが重要であると感じた。
4.住宅改善と補助器具
住宅改善と補助器具に対する意欲は強い。老人が一人暮らしとか老人夫婦になった時は高齢者ケア付き 住宅に入居するような配慮がされている。原則として60平米位でバス、トイレ、キッチン付きである。 1988年頃、デンマークを訪問して、30平米ぐらいの個室に入っている老人を見て驚いたわけであるが、 2002年には、ケアの必要な老人を「生活の継続性」を考えて高齢者住宅(2LDK)に入居さそう としている。しかし、まだ、希望者全員が入居できるわけではないようであった。
もうひとつは、補助器具である。デンマークには、補助器具を3000種類も保持している「補助器具 センター」が各県にあり、補助器具がリサイクルされ市町村には補助器具倉庫があることは、すでに多くの 報告書で紹介されている。補助器具の活用も日本でも少しづつ充実しているが、デンマークでは、無料 もしくは個人負担が少なく。多くの補助器具が提供されている。今回、デンマークのスタッフから、 強調されたことは、働くものの「労働環境」の整備の重要性であった。特に、対象者の移動を容易にする ための「ビニール製のふくろ」の活用や随所に見られた職場体操「ストレッチ」の掲示は印象的であった。
5.痴呆対策について
痴呆対策を、どのようにしていくかは、日本デンマークの共通の課題である。今回、デンマークで、 どのようにグループホームがなっているかは、デンマーク訪問の一つの課題であった。
今回の調査で、施設、デイホーム、グループホームに多くの「痴呆性老人」がいることが明らかになった。 施設(これを施設と言わないで、最も重症の人をあずかる「ケア付き高齢者住宅」という呼び方もしていた、 また、来年からは、「ショートスティ」・・1日から6ヶ月まで滞在可能・・と呼ばれるかもしれない 「高齢者住宅」である)においても、痴呆性老人はみられた。数としては2万人に100室程度が確保 されていた。このほかにも、老人住宅に入っていて、デイホーム、グループホーム、デイケアに通う 「痴呆老人」がいることになる。人口1万人に60人以上のケアの必要な痴呆老人がいることになり、 グループホーム、デイケアだけでは対応できなくなってきている。痴呆対策はデンマークでも大きな課題 である。
また、日本においても、痴呆老人を「主役」にすることで痴呆が改善するという「集団療法」の報告が、 されているが(出雲の「小山のおうち」、映画「折り梅」等)、デンマークでも、デイケア、 グループホームで試みられている。
6.元気老人対策あれこれ
今回、テーマのひとつに「デンマークでは元気老人は何をしているのか」があった。元気な老人を多く し、出来ればPPK(ピンピンコロリ)は出来ないことかとデンマークでも考えているようだ。訪問した 「アクティブセンター、ハムレット」では、手書きでクリスマス用品を作る人、陶器を作る人、刺繍をす る人、ビリアード等さまざまであった。年齢も70−80歳と高齢である。会費は材料費を除くと月 1000円であった。高齢者全国組織「エルドライエセン」では、歌曲「白鳥の湖」で実施する 「高齢者むけの体操」、高齢者を訪問して実施する「体操の友の体操」が作成されていた。 私たちは高齢者の体操をデンマークの人たちと一緒に行なった。
さらに、訪問した「高齢者のための全寮制国民高等学校」では、全寮制で25のコースが組まれていた。 期間は原則として、2週間であった。約半分の経費が国から支出されていた。コースは音楽、彫刻、旅行、 ダンス、写真技術、デンマークの文学、ビデオ技術等多彩であった。ここでも、歩行器を活用している人 もいた。まさに「自己資源活用」である。学習意欲のたくましさを感じた。この国民高等学校 (フォルケホスコーレ)であるが、1844年にユトランドにグルントヴイとコールが設立したのが始まり であるといわれている。農民のために農閑期、約6ヶ月間全寮制で教育するというシステムである。 現在はデンマークに80校近い類似のものがあると言われている。ここと同様なものは14校あり高齢者を 対象としたものは4校あるという。なによりも、入学資格も試験もなく、先着順で、寝食を共にしながら、 教師と学生の親密な交流を重視している学校である。学生は授業のみならず、日常の共同生活から社会 人間関係を学ぶという。経費も安く2週間コースで、60000円程度であった。
日本でも、元気老人対策がされている。しかし、何が足りないのであろうか。
7.認識されてきている「リハ」の必要性
リハビリテーションの重要性を再認識した。そのひとつは、エルシノアの総合福祉センターを ゲントフテ市にあるような「リハセンター」にするという構想である。スタッフの勉強会も開始されて いるようだった。人口6万人「エルシアノ」での構想である。二番目は、「体操の友」をつくって、 高齢者を訪問し、高齢者に運動の大切さを実践してもらうという高齢者組織「エルドラセン」の方針。 三番目はブンゴートモアさんの家の近くにあるコミュニティセンターの一室がリハビリてーションの部屋 になっていたことである。一人の訪問者が用具の使い方をスタッフに尋ねていた。食堂、図書館、 コンピューター室という、わずかしかない部屋の構成の中にに「リハ室」があったことが印象的であった。
このように、広い意味でのリハの必要が認識されており、私たちも足腰を鍛えておくことのの重要性 とそのための「環境整備の必要性」を再認識した。
8.おわりに
「デンマークが何故福祉が進んだのか」について、再三再四質問をしてきましたが、デンマークの 人々は「ヴァイキングの国であり、船板一枚「地獄」だから、平等意識が強いのだよ」「昔から貧しかった ので平等意識がつよく相互援助が発達した」「デンマークの民主主義の成果である」「第二次大戦後女性 が社会進出した。そのため保育所が必要になり、運動をした。その人たちが高齢期を迎え、 子供たちに世話にならないという考えが老人福祉を発達させた。また、家事から女性を解放した」 「長期間戦争がなかった」と答えが返ってきた。
私はキリスト教が庶民に浸透した12世紀に個が確立し、個が構成する社会ができあがった。日本で 個が確立したのを「明治時代」としても、500年も早い。日本では、まだ個が確立していない人も多い。 19世紀の半ば、今でも人気のある哲学者キルケゴール(1813-1855年)の「個人主義の徹底の哲学」 が浸透している。また、同じ頃、牧師であり教育者であるグルンドヴィ(1783-1872年)の「国民高等学校」 の創設がある。当時多数を占めていた若い農民への民主的な教育がこの学校で実践された。この学生と 教師が寝食を共にしながら学習するという「デンマークの教育システム」により、デンマーク民主主義 が住民の中に浸透していったといわれる。
このような「個の確立」「草の根民主主義の教育」が、私はデンマークの高齢者福祉の三原則である 「自己決定」「生活の継続性」「自己能力の活用」に影響を与えている考える。
いづれにしても、デンマークは、私たちの行く末に多くの示唆を与えている国である。住民参画の 必要性は日本でも叫ばれている。しかし、具体的には、住民の意識も環境基盤の整備も、まだまだ であると思う。私たちも、少しずつ知恵を出しあって突き進むことが出来たらと思う。
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