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養神館合気道
                   
白滝村の開祖 
 (1)開祖と白滝村の概況
 (2)白滝郷土館
 (3)白滝柔剣道場

 (4)武田惣角の碑
 (5)植芝盛平の碑 
 (6)上白滝神社
 (7)あとがき

合気道開祖・植芝盛平ゆかりの地・武田惣角ゆかりの地探訪記
(7)あとがき
  開祖ゆかり地・白滝村は謎が多く、開祖の白滝村での足跡についても必ずしもすっきりしないものがあります。そのため史跡探索による紀行文のはずがいつしか謎解きの研究にはまりこんでしまいました。開祖ゆかりの地・白滝村を探策するにあたり、どこにいけば開祖ゆかりの物証を見ることができるのか、それが最初のつまずきでした。通常の観光案内の本には書いてありませんのでホ−ムペ−ジが頼りでした。惣角の碑文を読むと惣角の家は『植芝盛平伝』に書かれてあるような開祖から譲り受けたものともそこが開祖の家であったとも書いてありません。となると開祖の家は別のところにあったのかという疑問がわいてきます。開祖の碑にはゆかりの地と書いてあってもここに開祖が住んでいたとは書いてありません。特に開祖の住まいの場所がはっきりと表示されていないことが不思議でした。ではどこに住んでいたのかということになりますとその家の場所もはっきりしませんし、残ってもいません。開祖は武術の稽古をどこでやっていたのでしょうか。開祖は開祖の私設の道場で惣角に武術を教わったようですが、その場所はどこにあったのでしょうか。神社で稽古したことはなかったのでしょうか。開祖の自宅に惣角に泊まってもらい教わったという記録も残っています。その自宅とはどこをさすのでしょうか。詳しいことは碑文には書かれていません。また開祖がかかわってつくった二股商店街付近につくられた二股神社(後の白滝神社)と開祖とのかかわりあいは全く不明です。また開祖ゆかりの物証があまりにも少ないのに驚きました。それというのも大正6年5月の大火災が多くの史跡や記録が灰燼にきしたためだということでした。さらに分かったことは開祖は父余禄から莫大な金銭的支援を受け、そのこともあってか白滝村の大地主であったということです。多くの農地・山林・宅地さらに自分の住居の他に使用人に住まわせる住居があったとしても不思議ではなく、そのことが混乱の原因の一つともなっているとも考えられます。いまひとつ考えられることは当時の白滝村で著名であった開祖の住まいが完全に解明されないのは惣角への村人の遠慮があったのではないでしょうか。惣角の家は開祖にもらった家だということはタブ−とされたのではないでしょうか。惣角は何といっても開祖の師匠であり、村人の中にも開祖と共に武術を教わった惣角の弟子は開祖が白滝を去った後もたくさん残っていました。惣角への遠慮から半ば意図的に真実が隠されたのではないでしょうか。惣角がなくなってから本当のことが語られるようになった時には開祖は村人にとっては過去の人になっていたのです。以来真実が問われることもないまま今日を迎えたということではないでしょうか。
  植芝開祖を敬愛する私共合気道愛好者にとってはこの聖地の災禍は大変残念なことであります。かろうじて上白滝神社に開祖の名が残されており、白滝に開祖ありとの物証を得ることができました。また記念碑の建立により、未来永劫にわたりその痕跡を留めようとの努力がなされています。今後、二股市街、白滝小学校、白滝神社、石北本線など開祖との関係を記した立て札が設置されると開祖ゆりの地として白滝を訪れた観光客の理解が深まると思いました。
 そのような中でその現状を憂い、白滝の歴史や文化を構成に継承するため平成5年4月16日、太田実氏により『白滝ところ処』が発行され、それら疑問を解消するべく研究がなされ、その結果について発表されていることがわかりました。白滝教育センタ−の鴻上(こうがみ)氏のご厚意により、その資料を送付、提供をいただき勉強させて頂きました。本稿はその資料を参考にして執筆致しました。その他、上白滝神社の中をわざわざ調べてきて頂きました。その結果、開祖の名前は1カ所のみ掲示板に書かれており、その他の関係の記述は見た範囲内では見あたらないということでした。開祖の持ってきた掛け軸はないということが分かり、本稿に掲載・報告させて頂きました。また神棚には天照座白大御神としか書かれていないことも判明致しました。さらに白滝郷土館の開祖の鉄扇の重さについても調べて頂き、掲載させて頂きました。しかしいまだに開祖の住まいや稽古場所・道場の所在地など確定しかねる多くの謎が残されています。とりわけ開祖と白滝神社とのかかわりは信心深い開祖だけに物証が残されていないのはまことに残念という他ありません。
  しかしながら太田実氏の著作により、白滝神社の変遷や開祖と惣角の足跡が詳細に分かり、その時代にタイムスリップしたがごとく開祖の苦労やおもい、その魂を感じることができました。聖地・白滝への思いは開祖への想いであり、世の人の白滝への関心を今後ますます高めるものと確信いたします。このような貴重な資料の提供と共に多くの情報をいただいた白滝教育センタ−の鴻上(こうがみ)氏に深く感謝申し上げる次第であります。
  最後に本稿を執筆するにあたり参考とした資料を紹介し、執筆者の方々に御礼申し上げます。なお本稿は今だ未定稿であり、新しい事実や間違いが判明した場合には予告なく内容を訂正致しますのでご了承願います。
@太田実『白滝ところ処』「旧跡の紹介・白滝神社(平成5年6月5日発行)」
A太田実『白滝ところ処』「第21号武田惣角と大東流合気柔術(平成6年10月1日発行)」
B太田実『白滝ところ処』「第28号紀州団体と植芝盛平の足跡(平成7年12月20日発行)」
C太田実『白滝ところ処』−収録編「まえがき」・「編集後記」(平成10年2月2日発行)
D植芝吉祥丸『合気道開祖 植芝盛平伝』昭和52年9月28日第1刷 講談社発行
E編者合気ニュ−ス編集部『武田惣角と大東流合気柔術』1992年5月16日合気ニュ−ス発行
Fホ−ムペ−ジ『合気道マップ』・『考察惣角』・『考察神社』・『石北本線白滝駅10円券の謎』等々
                                     (平成20年10月23日記)